大阪公演 シゲさんレポート

2015年5月16日〜17日

大阪を出て上京して27年になる。東京に住んでる期間は、そこからマイナス5年ぐらいだ。

ぐらいというのは、自分でも正確には分からなくて、歩いて全国回ってた時期が半年ほどあったり、自転車で全国回ってる時期が半年ほどあったり、富良野と札幌に3年ほど暮らしてたり、石巻にいたり、そんな東京にいなかった期間を合計すると5年ぐらいのような気がする。

大阪で22年育ち、東京で22年生活し、その他の場所で5年生きていた。

大阪と東京がハーフハーフになった今【イシノマキにいた時間】大阪公演が実現した。

地元とはいえ、大阪を出て27年になるので集客が心配だった。ものすごく心配だったが、これまでの地道な?他力本願システムの力と一番驚いたのは、小中高校の同級生が声を掛けてくれて、同級生だけで50人以上が見に来てくれたことだった。

30人以上の大阪府立池田高校37期の同級生とは、30年ぶりに会った。今まで同窓会にも参加したことがなく、不義理の連続だったのに、大勢でABCホールに足を運んでくれ、公演後には飲み会も開いてくれた。同級生であるという繋がりは、とても心地よく、すぐに30年という歳月を埋めてくれたような、あの頃に戻してくれたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小・中学校の同級生は、それ以上ぶりだったので、正直誰が誰か分かるかな?とも思ってたが、都会のど真ん中の小さな学校(小学校では2クラスしかなく、しかも1クラス24人で、中学校は4クラス。)だったので、人数が少ないだけにインパクトの強烈な友人たちが来てしまった、いや、来てくれた。東京出身のよっさんと栃木出身の田口くんは、ナニワのオバチャンパワーに圧倒されていた。オバチャンたちに囲まれて、パワーに圧倒されてる2人の写真を載せたいところだが、ナニワの遺伝子を受け継いだ子どもたちも写っているので、掲載は見送らせてもらう。(ただ、ナニワのオバチャンたちは「なんで載せへんの!かめへんがな写真ぐらい載せたって。え?こどもの顔が写ってる?そんなもん顔が写ってへん方がマズイやろ!」とか言いそうだが・・・)

小中高校の同級生は、当たり前だが全員同い年で、全員が丙午(ひのえうま)である。丙午生まれは、極端に人数が少なくて変わり者が多いと言われている。たしかにそこは否定出来ない。そんな変わり者の同級生たちにも、見てもらえてよかったと思う。それでもやっぱり、何を伝えるのが正解なのか分からないから、いつもと変わらず、なるべくたくさんのことを、いま感じていることを、そのまま伝えたいと思っていたが、今までとは少しだけ違った想いを抱えて大阪の舞台に立った。

東京で、THE NEWSPAPERというグループに所属していた20年前、阪神淡路大震災が起こった。朝起きてテレビのスイッチを入れると、画面の向こうに壊れた自分の故郷が映っていた。なぜか、ものすごく冷静に見ていたのを覚えている。家族に連絡がつかなかったのに焦るでもなく、大阪に向かうでもなく、そんな自分だったからか、当たり前のようにボランティアには行かなかった。行けなかったワケでもなく、自分の確固たる意志で行かなかったワケでもない。ただなんとなく行かなかった。兄夫婦が住んでいた近くの阪神高速道路神戸線が倒れてる映像を何度も見ながら、どこか他人事だった。

仕事仲間は、東京からスグにバイクで神戸に向かった。それからしばらく東京には帰って来ずにボランティア活動をしていた。別にカッコイイとも思わなかったし、自分が後ろめたい気持ちにもならなかった。阪神淡路大震災の時、僕は『あの時の被災地』と向き合わなかったような気がする。ちゃんと自分の目で見て知ろうとしなかった気がする。震災から3ヶ月後に神戸に行き、どの建物も全て傾いてるような気がして、平衡感覚が取れずに愕然とした。それでも3ヶ月後の神戸では、地元の人が「写真、撮って帰りや。」と言って、使い捨てカメラを露店で売っていた。もちろんそこだけを切り取るつもりはないが、たくましさを感じたし、復興に向かう活気を感じたのを覚えている。

芝居の中のヒロキは、被災地と向き合わなかった自分から16年経った自分と重なっていて、『ボランティアというのが何なのか、よく分かってない』と、この作品の脚本を書いてた時には、僕自身も分かってなかったんだと思う。今、僕は分かったのだろうか?と考える。

阪神淡路大震災から20年が経った大阪で、【イシノマキにいた時間】の公演が実現できた事で、大切な事を思い出させてくれた気がする。阪神大震災の時に漠然と感じていた『ボランティア』に対する思い。それとは違った4年前に石巻で出会った『ボランティア』という活動をしていた仲間たちに感じていた事。石巻で一緒にボランティア活動をしてきた人たちは、終演後に会った同級生たちとどこか似た存在のような気がした。

そしてもうひとつ、大阪から出てきた時の覚悟も思い出させてくれた。

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