熊本公演 シゲさんレポート

2013年3月16日(土)〜17日(日)

 

 

 

 

熊本・八代公演は、新潟・上越高田公演を思い出させてくれたし、また、初心に帰らせてもくれた。もちろん、これまでのどの公演も、実行委員会のみなさんや、関わってくれた人たちが、動きまわってくれたから実現した公演なのだが、これまでに公演してきた町には、上越高田(マル丸山が主催する劇団があり劇場?がある)も含めて、何かしら演劇やメディアに関わっている人が中心になり、公演する劇場の手配や集客も含めて、動いてくれていた。それが、熊本の八代は、工務店のオッサン1人の情熱から始まったのだ。そして、思い知らされた、というか、もう一度思い起こさせてくれた。

この【イシノマキにいた時間】が、全国に伝え届けられているのは、間違いなく『情熱』なのだと思う。キャストはもちろん、スタッフも情熱を持って舞台作りをしてきたし、各地の実行委員会のみなさん、更に見てくれたお客さんも、知り合いに情熱を持って伝えてくれている。熊本・八代しかも日奈久温泉という場所は、どう考えても舞台を見に来るために足を運ぶ場所ではなかった。そこに2日間3ステージ、全公演、客席は埋まっていたのだ。しかも、オッサン2人とポッチャリ1人の舞台に。ただ、この条件は、どこの公演場所でも変わらない不利な条件だった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台作りも圧巻で、吉俣さんがピアノを弾くステージが、工務店パワーで建てられていた。もぉ、そこで一人芝居が出来るぐらいのクオリティーの高い舞台が出来上がってた。

熊本の日奈久温泉という場所に、福岡や鹿児島の友人、ボランティア仲間が足を運んでくれたのも嬉しかったし、とても大きな意味があった気がする。日奈久だからというわけではないが、本当に『どこでも公演は出来るんだなぁ〜』と思った。そういえば、富士宮の芸術空間あおき(青木さんち)という、畳約4枚のスペースで公演した時も『もぉ、どこでも、この公演はできる』と感じたし、マル丸山という男が指揮をとる上越高田公演の時も『もぉ、ダレが実行委員長をやっても公演できる』と思った。また、次のどこかでも、新しい『どこでも』があると楽しい。

そして、この熊本・八代公演では、初めて『支援金の使い道』を預かる前に伝えた。今までのように『石巻の支援に』という漠然としたカタチではなく、今回は『石巻の人たちに、この舞台を見ていただくための費用に』として集めさせてもらい、仙台公演の時に、石巻のみなさんを招待できるよう考えてます。

震災後すぐは、物資の配布やがれき撤去、炊き出しといった支援が主だった。それから漁業支援や仮設支援などに変化していき、今も支援のカタチは難しく変わってきている。そんな中にエンターテイメントがあってもいいのではないかと、むしろ、やっとエンターテイメントの出番が来たのではないかと思っている。

熊本・八代公演では、やっぱり、ヨッさんの公演後記をもらうことにしよう。

 熊本公演 よっさんレポート

この熊本公演が実現したのは、友人である熊本八代実行委員長・中村章二くんのお陰です。昨年の新潟公演を実現してくれたマル丸山くんと同じ、彼とボクは、とある劇団の研究生時代の同期で21年前、苦楽を共にした仲です。

実は章二は、この舞台の全国公演一発目、昨年の鹿児島公演に、熊本から観に来てくれていました。そして終演後、ボクに会うなり開口一番「この作品を地元の熊本に呼びたいのですが。。」と云ってくれました。ボクは「嬉しいけど、会場とか集客とか大丈夫?」と尋ねると、

静かに熱い男・中村章二
静かに熱い男・中村章二

「地元で演劇をやったコトはないですけど石倉さん!『出来るか出来ないかじゃなく、やるかやらないか』ですよね!」と。もう目の前にいたのは、章二ではなくヒロキでした(笑)

ただ彼は云ってはくれましたが、新潟のマル丸山のように地元で劇団をやっている訳でもなく、ましてや芸能関係の仕事をしている訳でもありません。演劇を辞めて実家の工務店を継いだ男なのです。演劇を上演するネットワークなど持っていませんでした。

でも彼は、マル丸山とは熱さの表現が違うだけで、口数は少ないけど同じ情熱を持った熱い男でした。鹿児島公演を観た後の昨年7月から地道に同志を集め、熊本八代実行委員会を立ち上げ、着々と熊本公演を準備してくれました。いち工務店のオッサンがですよ(笑)男です!さすが九州男児です!

きっとそれぞれが違う道に進み、章二は章二で色んな山や谷を経験して来た今だったからこそ、工務店で築き上げた人脈や地元の人脈のお陰で、実現出来たのかもしれない。あと奥さんの内助の功ね!(笑)実行委員会の皆さんも本当に良い方たちばかりで、章二が集めた人間なだけあって、皆熱くキャラの濃い人たちばかりでした(笑)結果、彼らのひたむきな宣伝活動のお陰で、全ステージ満席の超満員御礼になり、熊本市内から少し離れた八代の日奈久ゆめ倉庫に本当に沢山の方が足を運んで下さいました。ホント嬉しかったなぁ〜。

 

 

 

 

 

千秋楽、劇場に向かう車の中で彼は云いました。「僕は芝居を辞め地元に帰り表現者ではなくなりましたけど、やっぱり演劇というかエンターテイメントって人に必要だと思うんですよね。だけど八代にはそう云う娯楽がなくて。。。でもだったら、僕がそう云う作品をこの地元に呼べばいいんじゃないかと思ったんです。今なら工務店をやりながらでもエンターテイメントを伝えるコトが出来ると思うんですよね。そして今回の『イシノマキにいた時間』が、そのはじめの一歩になってくれたらいいと思ってるんですよ。。」と。彼の中で熊本実行委員会は、この一回限りにするつもりでは、なかったようでした。

 

鹿児島公演の終演後に聞いた「出来るか出来ないかじゃなく、やるかやらないかですよね!」は、この作品を呼ぶだけじゃなかったんです。章二の演劇への熱い思いも入っていたんです。。ボクは章二のコトバを聞いて嬉しかったと同時に身が引き締まりました。

この作品が震災関係なく、今後の人としての道の “ キッカケ ” になっている嬉しさを感じると共に、東京で芝居を続けて行くボクに、演劇に対しての誠意と云うか “ これからどうあれ!”と云うコトを改めて、昔の仲間に教えられたような気がしました。

劇中で付けていた腰袋
劇中で付けていた腰袋

実はですね。劇中のラストでボクが腰に付けている腰袋は、章二が実際に仕事で使っている腰袋でした。言わなければ観ている人にはわかりませんよね。腰袋ではありますが、21年振りに章二と舞台上で共演しました。新潟公演の時は板金屋のマル丸山の腰袋を付けました。マルは泣いてました(笑)

時は経っても演劇に対して熱い思いを持っている二人の分まで、背負って伝えました。20年以上振りに、同じ公演でお客さんに伝えるコトが出来たんだと思うと改めてこの作品と、いままでの縁に感謝でした。そしてこの小さな縁から始まった熊本八代公演も沢山の方々との繋がりのお陰で成功する事ができました。本当に有り難うございました。

この『イシノマキにいた時間』と云う作品を通して、毎回感じる縁と繋がりに感謝しています。これからもその縁を大事にしながら沢山の皆さんに伝えて行きたいと思います。

熊本実行委員会の皆さんと
熊本実行委員会の皆さんと

最後に、、車の中で章二に

「だったら八代に芝居小屋建てちゃえよ!(笑)」と云ったら

「そうなんですよねぇ〜。建てようとと思ったら建てれる業者、全員仲間でいるんですよねぇ〜」と笑いながら

云っていました。そんな章二の目の奥には演劇の素晴らしさを知っている工務店の九州男児の静かな野望が見えました。。。

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