長野小諸東公演 シゲさんレポート

2014年9月26日

小諸東中学校
群馬公演(2014年3月)の最終日、牡鹿半島にある鹿立浜(すだちはま)の漁師、石森裕治さんから電話があった。石森裕治さんは、震災後、いろいろな取り組に参加し、いつも浜の将来を考えながら、自分の将来に手が回らないで?それでもポジティブな浜の大将(オッサン)である。

そんな石森さんからの電話は「みちよちゃんから電話があって【イシノマキにいた時間】を、なんとか自分の中学校の学園祭で出来ないだろうか?って言ってんだぁ、チカラんなってやってくんねぇがなぁ」という内容だった。みちよちゃんは、小諸東中学校の徳竹先生という人で、ボランティアの新しいカタチ『イマ・ココプロジェクト』という活動に参加した事がキッカケで、鹿立浜の大将・石森さんと出会ってしまった、いや、石森さんと出会った熱血先生だ。

とはいえ、学校でやる行事というのは、1年以上先までは、決まってたりするので、みちよちゃん、いや、徳竹先生には、「今までの経験上、校長先生や他の先生にも協力してもらわないと、さすがに今年の公演はキビシイと思うよ。」と伝えたのだが「大丈夫です。協力してくれる先生もいるし、校長先生も、たぶん大丈夫です。」と即答だった。とにかく、今年の学園祭で取り組みたいという想いがビシビシ伝わったのを覚えている。

そして、公演は、群馬公演から半年後、小諸東中学校の白梅祭でやることに決まった。

で、公演前日。

校長先生、教頭先生、みっち〜、いや、徳竹先生、そして徳竹先生と協力して動いて下さっていた先生方に会って、徳竹先生が「大丈夫です。」と力強く即答したのが理解できた気がする。みなさん熱いのだ。

そんなカタチで始まった小諸東中学校での公演では、2日間の文化祭プログラムの中での公演ということもあって、写真展も開催することが出来た。

今、自分に出来ること、やりたいと感じたことは、多少無理してでもやる!というのが、徳竹スタイルだったような気がする。そしてそれは、小諸東中学校の先生方に伝染していた気がする。もしかしたら、徳竹先生に、小諸東中学スタイルが伝染していたのかもしれない。

前日の準備は深夜まで、公演当日は早朝から、いつもながらスタッフのみなさんには無理をしてもらい、また、『長野三光』さんから助っ人で来てくれた、さっちゃんには、本番中にもお手伝いをしてもらったりと、とにかく9月は『いろんな人に無理してもらう月間』となった。

中学校での公演は、独特の雰囲気がある。もちろん中学校にもよるのだが、どの感情もスピードがありストレートで、とても刺激を受ける。なぜか分からないが、よっさんは、最後の挨拶の時に涙ぐんでた。それは、ホントになぜなのか、今も分からない。

今回の小諸東中学校は、先生方も様々な取り組みをされていて、ボランティア活動や支援のカタチには、とても高い関心を持たれているようだった。

公演を終えて、校長室で昼食をいただき、生プルーンを初めて食べて、いろいろと話をさせてもらい、貴重な時間だった。2014年、小諸東中学校での公演で、怒涛の9月を終え、年内の【イシノマキにいた時間】の公演を全て終えた。

さぁ、来年。

少しづつ支援のカタチが変わっていくように、自分たちの舞台のカタチも、変わっていかないといけないと思っている。

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