エールフェスタ シゲさんレポ−ト

2012年10月20日〜21日

 

 

 

 

 

荒波牡蠣復活委員会の斎藤さんから、復興支演舞台『イシノマキにいた時間』を、10月にある全労済のイベントで出来ないだろうか?と、問い合わせがあったのが7月頃だった。ただ、イベントの形態から考えて、お芝居を集中して見る環境ではなかったので、正直、ちょっとキビシイと思った。

それでも、たくさんの人が来場するイベントであるし、何より、イベント当日は、鹿立(すだち)・福貴浦(ふっきうら)の漁師さんたちが来て、荒波牡蠣を殻付きで、焼き牡蠣として販売するという。浜の大将・石森さんと『海と共につながる会』のメンバーが来るということで、どうにかしてイベントに参加したいと思った。

いつもHPやブログ、Facebookで石巻の今を伝える時
震災後すぐに石巻に入ってボランティア活動を続け、

写真家・鈴木省一
写真家・鈴木省一

その後『伝える』という強い意志を持って石巻を撮り続けた、写真家のショーイチくん(鈴木省一)から写真を提供してもらってる。

震災直後や去年の石巻の『あの頃』を伝える時には、やはりボランティア活動を続けたヨシノリくん(上野祥法)や、みっとしくん(中村充利)が撮ってくれた写真も使わせてもらったりする。ただ、『今の石巻』を伝えるには、今も石巻で活動を続けているショーイチくんの画力(エヂカラ)が強い画像に惹かれる。

これらの写真を使って『イシノマキにいた時間』は伝えられるんじゃないかと思い、イベントに参加させてもらった。

イベントでは、写真を組み合わせてスライドショーとして制作し、音楽も併せて見てもらった。音楽は吉俣さんの音楽を(黙認&放任で)使わせてもらい、ここでも音楽の凄さを改めて感じた。写真と音楽があれば、コトバでの説明が必要ない時がある。もちろん必要な時もあるが、必要以上に喋ったりしたために、スタッフさんから執拗に『マキ(早く終わりなさいという合図)』を頂いたりした・・・。

このイベントで、写真や音楽そしてコトバで伝える『イシノマキにいた時間』が生まれた。また、いろんな可能性が見えた気がした。

 

 

 

 

イベント直前の10月15日から石巻で写真を使ってスライドの制作をした。伝えたいコトを伝えたい画像で届ける。そんな何千もの画像を見て改めて思った。被災地で写真を撮るコトは、精神的にとてもタイヘンなことであり、それでもショーイチくんが写真を撮り続けてくれたから、今、伝えられるんだと強く思う。『あの頃の石巻』を伝える辛さや悲しみ。これからは、喜びや楽しさをたくさん伝えていけるだろうと思う。それは、あの時の辛さや悲しみを、たくさん感じながらシャッターを押してきたショーイチくんだからなんだと思う。

彼は、(自称)泣き虫で、初めてボランティアとして石巻に入る前、「絶対に泣かない。泣きたいのは自分じゃなくて、被災地の人だから」と心に誓って石巻に入った。それでも、その年の4月終わり頃に、街角に貼っていた何気ない貼り紙に書いていた【春がきた】の文字を見て号泣したと正直に話して、みんなから『誓いを破るのが早すぎる!』と笑われていた。ただ、その笑いはとても温かい笑いに包まれていた。泣き虫で弱いキモチを持ってるからこそ、強いキモチで伝える写真がたくさん撮れるのだろうと思う。これからも、出来るだけショーイチくんには泣き虫であり続けて欲しいと個人的には思ってる。

荒波牡蠣の販売と、鹿立・福貴浦からの刺客については、制作スタッフ?からのレポートで!

 

イベントが終わり食事をして、その後『海と共につながる会』のメンバー2人と軽く飲んだ。その時、彼らは慎重にコトバを選びながら言ってくれた。

今回の震災で亡くなった人がいるので、震災や津波は、当たり前だけど無かった方がよかった。でも、こうしていろんな人に会えたのも地震があったからで、だから複雑だけど、みなさんに出会えたコトには素直に感謝したい。と。もちろん全く同じ事を自分も思っていた。

 エールフェスタ 制作レポート

 

 

 

 

 

東日本大震災の被災地へ”エール(声援)を贈りたい”という気持ちを込め開催された【ぜんろうさい エールフェスタ2012】「ささえる」「つながる」「たすけあう」をキーワードに、全労済のCMでもお馴染みの中村雅俊さんのライブをはじめ、2日間に渡り、様々な企画が用意された楽しいお祭りだった。

 

初日の朝、オープン前の会場で、鹿立、福貴浦からの刺客(笑)に再会。シゲさんレポにもあるように、同じイベントに参加できることが我々も本当に嬉しかった。夏の石巻公演でもお世話になった浜の大将、石森さんと海共メンバー、マコトくんと石森さんの息子、ハヤトくん。彼らは、水揚げしたばかりの荒波牡蠣を3000個以上トラックに積んで新宿に乗り込んできた。

東京での再会を喜び合うのも束の間、何故か石森さんはじめ海共の2人も少し浮かない表情を見せていた。

 

「夏場に雨が少なかったから、牡蠣の生育が例年より遅くて牡蠣が小さぐでね…本当は、こんなもんじゃないのさ。殻からはみ出るほどの身〜してるから…」東京のお客さんに荒波牡蠣を知ってもらう、味わってもらう、せっかくの機会なのに、石森さん達は、すごく悔しかったのだと思う。それは私達が想像する以上に。

 両日共、外にずっと居ても心地いい秋晴れ。会場となった新宿の全労済ホール スペース・ゼロは、大勢のお客さんで賑わった。イベント初日、荒波牡蠣の身の状態を説明する看板もかかげられていたが、開始早々から、焼き荒波牡蠣は大人気。石森さん達の心配をよそに、すぐにお客さんの列が出来た。濃厚な味に皆さん舌鼓。ビール片手に何個も食べている方達も。荒波牡蠣を食べに来た人達、荒波牡蠣を応援に来てくれた人達で、テントの周りは終日賑わっていた。とりわけ鹿立、福貴浦の浜に震災後、支援に入っていたボランティア達が現れると賑やかな同窓会のようだった。

 

 

 

 

 

そこには、いつも我々に大きな力を貸して下さる作曲家、吉俣良さんの姿も!吉俣さんは2日間とも会場に足を運び、牡蠣を食べ、石森さんや海共メンバーを激励。写真で届ける「イシノマキにいた時間」が始まると会場の席で、石巻の最近の様子も見てくださった。

持ってきた荒波牡蠣のほとんどを売る事ができ、大盛況に終わったエールフェスタ。その打上げの席で、海共の若い2人が、力強い言葉で浜の次世代を担う狼煙を上げた。石森さんは、息子達の立派な挨拶に涙を拭っていた。

荒波魂Tシャツ
荒波魂Tシャツ
今年の6月の終わり、石森さんが旗振り役になってくれ実現した「イシノマキにいた時間」東浜小での公演。公演後、仮設住宅の談話室で、石森さんや海共のメンバーが開いてくれた打上げは、一生忘れられない。「この話しを伝えていってください」と言って頂けたことも。あれから約3ヶ月。その間に浜は、一歩一歩前進している。今回のイベントの直前に、水揚げが始まり、石森さん達は震災以来2年ぶりに牡蠣の出荷をした。そして、まもなく待望の1棟目の牡蠣の処理場も完成する。

〜『イシノマキにいた時間』のヤスの台詞より〜

漁師さんたちは、
「そこに住むしかねえ」って言うんですよ。
「やっぱり海の男は、海にしか住めねえ…」って

海の男達が、住むべき海でこれから、どんどん本領を発揮していく。その受け皿となる処理場建設を応援する為にも、彼らに負けてはいられない。そう思わせて貰った2日間だった。

*石森裕治さんが代表を務める牡蠣漁場を復活させるためのサポート団体

荒波牡蠣復活委員会▷ HPはコチラ

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